彼女との馴れ初め

ハッピーメール。いろんな出会い系やってきたけどこれが一番良いと自分自身思う。本当に価値観の合う異性と出会える。騙されたと思って一回やってみてほしい。本当に良い人と出会える。僕の周りみんなハッピーメールやってます。

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読書感想文11

十五少年漂流記

ジュール・ベルヌの名前を知ったのは、父が見ていた「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」でちょくちょく名前が出ていたからだ。また、大好きな東京ディズニーシーのミステリアスアイランドもジュール・ベルヌの「海底二万里」をモチーフのひとつにしている。ただ、どうしてもSFに抵抗があって、「月世界旅行」などに手を出すことはなかった。「十五少年漂流記」はSFではなく、私と同じ年頃の男の子達が無人島で二年間、必死に生き抜く話だ。銃器なども登場するが、それは未知の未来のものではなく、歴史上しっかりと存在したものでSFが苦手な私にも手に取りやすかった。また、作中に引き合いに出される「スイスのロビンソン」も、東京ディズニーランドにある「スイスファミリー・ツリーハウス」と関係がある。ディズニー作品は大好きだが、長編アニメーションになった原作童話の感想文がちょっとありきたりだと思っていた私には、うってつけの本だと思えたのだ。
十五少年漂流記は、下は八歳、上は十五歳の少年たちがスラウギ号と言う船で休暇を過ごそうとするところから始まる。ところがなぜだが船は港から流されてしまい、漂流。座礁をしながらも無人島に辿り着くという話だ。結論から言うと彼らは二年間もの無人島生活を強いられる。その終わりにはセバーン号の船長エバンスや、セバーン号を襲った悪党どもが島に上陸。エバンスらと力を合わせて撃退をし、エバンスの知識をかりて故郷のニュージーランドへ帰る、というストーリーだ。
終盤の悪党どもとの対決は、手に汗を握る。まさに冒険活劇といったシーンだからだ。主人公格の一人、ドニファンが重傷を負い、悪党どもの中から改心したフォーブスが子どもを庇おうとして命を落とす。だが、この大立ち回りが活きるのは、2年間、衝突を繰り返しながら互いに力を合わせてきた少年たちの成長があったからだ。彼らがいるのはニュージーランドだが、黒人水夫のモコを除いた少年は親に連れられて入植してきた。元々の国籍はほとんどがイギリスで、最年長のゴードンがアメリカ人。主人公格のブリアンとその弟・ジャックがフランス人だ。共同生活を送るにあたって、彼らは大統領を選出するが、最初はゴードン、次はブリアンとなったため、イギリス人で一方的にブリアンを敵視するドニファンが反発し、隠れ家を出てしまうなど、大きな衝突もあった。知識や手先の器用さなど、各自が持てる特技を出し合い、隠れ家の修繕や拡充、食糧調達に銃弾の節約など現代日本を生きる私からは想像もつかない生活が垣間見えた。どうしてもブリアン目線で掛かれているため、私はドニファンが大嫌いだった。とにかく自分勝手でワガママなのだ。機転が利いて銃による狩りが得意と、実力も伴っているからつけ上る、つけ上る。だが、読み返すうちに優等生のブリアンよりも人間くさい魅力に気付くことになった。信じられなかったのは、ブリアンの弟ジャックが彼らが漂流するはめになった元凶だと告白したときの対応だ。きつい性格のドニファンなら、例え年下相手でも容赦しないと思った。ブリアンは兄としての責任感からか弟を叱責していたが、ドニファンはあっさりとジャックの罪を許したのだ。おそらく、二年間の共同生活の中で最も人間的に成長したのはドニファンだ。成長したのは他の少年たちも同様だ。だからこそ衝突と妥協・和解を経て彼らは武器を持った大人に立ち向かい(エヴァンスと言う強力な味方がいたとはいえ)勝利をおさめられた。
現代の生活と大きく違う点を改めて感じさせられたのは、人種によるナチュラルな差別だった。ことあるごとにモコは「黒人」を強調される。特に改心前のドニファンが、大統領選挙で自分が選ばれなかった不満を漏らすときに「最初はアメリカ人のゴードン、今度はフランス人のブリアン、次はどうせ黒人のモコだろ!」という趣旨を吐露する。ニュージーランド人というよりはやはり生まれ育った土地の意識の方が強いのだ。また、当たり前のように黒人だからモコには選挙権がない、という記述にも衝撃を受けた。誰もそれに疑問を出さず、モコ自身も何の不満もなく受け入れていた。ロマンあふれる昔の生活に憧れるが、一方で現代日本で手に入れられる平等に感謝したいと考えた一節でもあった。

読書感想文10

日本百名山

この作品を読もうと思ったきっかけは、登山に興味を持っていたからです。実際に登ったことのある山がそれほど多いわけではなかったのですが、時々目を通す登山のガイドブックにこの本の名前が頻繁に登場することから、登山本の草分けと呼ばれている本書を読んでみたいと思うようになりました。

 「日本百名山」は作家であり登山家としても有名な深田久弥が登頂した日本全国津々浦々の山からベスト百を選んで紹介するという内容です。本書が登山界に与えた影響は多大なものであり、作者が選定した百名山には、例年、大勢の登山客が押し寄せています。ある意味、日本中の登山ファンに影響を与えた作品と言える一冊です。

 この本を読んで私が感じたことは、時代の移り変わりに応じて自然が変化する様と、登山の楽しさでした。本書は千九百六十四年に初版が出ている本なので、執筆からすでに半世紀以上が経過しています。そのため本書の記述を見るだけでも、紹介される山々の姿が、土地開発などのために現在では多かれ少なかれ変貌を遂げてしまっていることが窺い知れるのです。しかも、本書の中でさえ著者は、「山の様子が変わってしまった」と嘆いています。紹介される百名山の中には、筆者が始めて登山した時点では全く開発の手が及んでおらず、自力で藪を切り払って山頂を目指した場所もあったらしいのですが、現在ではどの山も登山道が整備されてしまっていることは間違いないでしょう。
 そのためこの本で紹介されている「百名山」は、現在の「百名山」とは別物と見なすことも可能です。たぶん、作者の時代の登山は、現代の学生である私たちには想像もつかないほど不便で、危険なこともあったのでしょう。今は登山グッズも進歩を遂げていますし、有名な山は観光地のように開発されてバスで山頂近くまで登ることも可能になってしまいました。それは悪いことではないのかもしれませんが、現代に生きる私たちは、筆者がしたような登山の楽しみ方をすることはほとんど不可能になってしまっています。それは、少し寂しい気がしました。
 もう一つ意外だったのは、本書が一般的な「ガイドブック」とは違うという点です。本書には絶景ポイントの紹介も、登山口の説明もほとんど出てきません。基本的には作者がその山を登った際の思い出と、苦労したことや楽しかった事柄を延々と語っているだけの内容なのです。にも関わらず、この本を読んでいると「山に登ってみたいなあ」という想いが湧き上がってきます。本当の意味で趣味人を増やすガイドブックとは、本書のような作品を指すのかもしれません。また普通のガイドブックでは省かれがちな、山名の成り立ちや、その土地に伝わる民間伝承についても解説してくれているので、歴史の学習にも役立ちます。

 この本を読んだ後、私は自分なりの「百名山」を決めてみたいなあと空想するようになりました。厳密に言うと本書で作者は人に登ってもらいたい山を挙げているわけではなく、それまでの登山経歴を振り返って、自分の感性と自分で決めた物差しに従って素晴らしいと思う百の山を選んでいます。そのため本書を読み終えると、深田久弥という人が自然のどういう部分を愛しているのか、どういう登山家なのかをおぼろげに理解することができます。好きなものを語っているだけで人となりが判るというのは、よほどの趣味人しかできないことです。好きな山などに限らず、面白かった本や、楽しんだアニメを語っているだけで自分がどういう人間なのか人に伝わるくらい語りつくせることができたら素晴らしいだろうなあと思わされました。自分の好きなもの、大切に思っているものに対して、真剣に向き合うことができたらこういう作品を生み出すこともできるのではないかと想像します。これからの人生の中で、自分も、作者にとっての山と同じくらい事なものを作れたらいいなと願っています。

読書感想文9

ヤバい現場に取材に行ってきた!

ここのところ本を読む機会がめっきりと減ってしまいました。読みたいと思えるものがなくなってしまったというのもありますし、単純に本よりもネット上にとっ散らかっている駄文の方が面白いというケースも稀にあるので尚のことです。しかし稀も稀、所詮は無価値が繁茂するインターネットのことです。本に叶うわけがないのです。一際目を惹く秀逸な記事など滅多にお目に掛かれるものではありません。そういうことで何か「ヤバい」ものはないかと探してみると早速ありました、ヤバい本、その名も「ヤバい現場に取材に行ってきた!/著者・石原行雄」
この手のタイトルの読み物は、まず間違いなく引くほどヤバいに決まっています。そんな確信にも似た期待感と、ただ『ヤバい』というタイトルに惹かれるという、いつにも増してプリミティブな発想で購入を決意しました。いざページをめくり読み始めてみると著者のユーモラスな語り口に反して、実際に綴られていたのは「予想は裏切り期待は裏切らない」というほどのディープな現場のオンパレードでした。戦時下のイラク、アジアの危険地帯、抗議集会、婚活パーティー会場、ヨットスクール、北朝鮮とどれも満遍なくコアな世界ですが、違法な現場、立ち入り禁止区域、不可解な現場とノンジャンルでバラエティーに富んでいるのでつい釘付けになってしまいます。何よりも著者独自の嗅覚のみを頼りに現場から現場を渡り歩き、極限まで掘り下げていく気概がとにかく物凄いです。世界はヤバい。東京はヤバい。知らない方が幸せだった。そんな短い言葉や感想しか出てこない「ヤバい」の結晶・集大成的な一冊でした。
特に印象に残っている話が二章あります。まず、本書は全十七章でそれぞれ全く違うエピソードで構成されているのですが、五章に「ゴミ屋敷」という話が出てきます。これは、文字通りゴミ屋敷に住んでいる二十二歳の女性の話なのですが、この話を読んだ時私は衝撃を受けました。本人は劣悪な家庭環境で育ったようですが最終的に落ちぶれると人はこうなってしまうのだな、と、他人事ながら全く笑うことができませんでした。
それからもう一つは第十三章の「豚の解体現場」というエピソードでした。著者の石原行雄さんはプロのライターとしてペン一本だけで日本のみならず、チベットミャンマーアフガニスタンスマトラ島など世界四十ヶ国以上を日々飛び回っています。そんな石原さんですが、実はテレビ出演の経験があります。サバイバーという番組をご存知でしょうか。石原さんが参加したのは無人島にて極限状態に追い込まれた男女十六人が参加し、最終的に残った一人が賞金の一千万円を獲得することができるという2002年から数年間地上波でオンエアされたこのサバイバーという番組です。フィリピンのシキホール島に取り残された石原さん達の食事は一日に一食か二食。しかも、小麦粉の団子を海水で煮ただけのスイトンもどきが茶碗に一杯だけ。当然それだけでは耐えることができません。ある日、石原さん以外の一人が豚を捕獲します。そして豚を調理するために解体するわけですがこの時の描写ひとつひとつが非常に生々しく、読んでいるだけで激しい吐き気に見舞われました。一連の工程の中で心臓や腸を豚の体内から引っ張り出す光景は実際に経験したものにしか分からない気色悪さがあるかもしれませんが、無人島で生き抜いていくためにはやむを得なかったはずです。
本書は冒頭からイラクの爆弾テロ現場の凄惨なエピソードで幕を開けますが、他にも生々しい話のオンパレードです。今まで知らなかった刺激的な世界を覗いてみたいという方には是非ともオススメの1冊ですが、本書を読んで尚も上記のデンジャラスな現場に自ら足を踏み入れたくなる衝動に駆られた日には、その日以降は全て凶日です。世界と日本のヤバい無法地帯の凝縮、ここに極まれり。

読書感想文8

モモ

モモ」を見つけたのは、本屋さんの片隅でした。分厚くて、真っ黄色な背表紙が目に飛び込んできたからです。金色ではなく、真っ黄色です。本は紙箱のケースに入っていて、表紙には線で細かい絵が描いてありました。色は塗っていませんでした。本をながめていると、図書館の辞書みたいな形をしていて、ちょっと大人の本のように感じてカッコイイとおもいました。そこで、お母さんに「この本がほしい!」というと、おどろいて少しだけうれしそうにしながら買ってくれました。それが「この本が大人の読むむずかしい本である」と言っているようでうれしかったです。中を見ると、さし絵が数枚しかない文字ばかりの本だったので、お母さんがうれしそうにしていた理由がわかりました。
作者ミヒャエル・エンデ、タイトル「モモ」は、一人の少女「モモ」がいろんな場所に旅をして、いろんなことを見たり、聞いたり、考えたりしながら成長していくお話です。
この本の中で一番心に残ったことは「時間泥棒」の話でした。「人間は、時間をお金で買えるが増やすことはできない。しかし、多くの人間たちがあまりにもたやすく他人から果ては自分から時間を盗っている。そのことに気づいていない者たちのなんと多いことか!どんな重罪よりも重く極刑にあたいする!だが、人間は気づいていない。気づいていないから罪悪感もわかない。そして、また安易に時間はうばわれていく!」というような話でした。私は本を読むまで「時間を盗る」という考えがなかったので、とても印象に残りました。
そして考えてみると、私もたくさんの時間を他人から「盗って」いました。例えば、お父さんが読書をしている時に話を聞いてほしくて邪魔をしてまで話をしたり、お母さんがご飯の用意をしているのに勉強を教えてもらったり、お店でお金を払う時に他に何を買おうかと悩んでいたり、他にもたくさんの時間をたくさんの人からうばっていました。同じように、私もたくさんの人からたくさんの時間を盗られていました。例えば、私が勉強をしているのにお母さんがしつこく話かけてきたり、病院でしんどいから病院に来ているのに受付に来ない受付の人だったり(おしゃべりしているのが見えているから、さらに嫌だと感じました。)おとなりの人が今から塾に行くと言っても話をやめてくれなかったり、列に並んでいるのに電話で話していて列が途中でとぎれていたり、他にもたくさんの時間がいろんな場所で「盗られて」いました。この「盗られたり盗ってしまった時間」があれば、たくさん本を読んだり、勉強したり、遊んだり、早い時間の電車に乗れたり、仕事が速く終わったり、たくさんのことができます。そんな風に考えてみると怖いことをしたのだとわかりました。

読書感想文7

日日是好日

この本に出会ったきっかけは母が茶道をしていてそこからこの本を読んでみなさいと渡された時からです。母は昔から茶道をしていて私は何度か母に連れられて茶道のお点前に一緒に参加したりしていました。この頃は自分のほうの趣味を優先していて茶道から離れていましたが、この本を読んでまた茶道の奥深さと母がどうしてこんなにも茶道に長く熱中できるかが少し理解できています。この本のおかげで母の事が少しどうしてこの静かなお茶の世界に入りこんでいるのかと不思議でならないというのが消えました。人ぞれぞれに自分に合った世界観だあるのだと思い勉強になりました。この本のきっかけで茶道の本質や考え方、知らなかったと気が付きました。
日日是好日の意味はすなわちたのしむべきところはそれを楽しみ、楽しみなきところもまたなきところを楽しむ。というのがこの意味。茶道をすることによって自分の居場所を見つけていく典子、茶道の武田先生は大きな大きな家で一人暮らしです。美智子は典子と同い年の従姉妹。美智子と一緒にお茶を始める典子だが、就職につまずいてしまう。そこでバイトをしながら一生懸命に茶道に通う。でも従姉妹の美智子は順調な人生を歩んでいく。自分はバイト生活だが、このお茶に通う事だけは辞めないで続けていた。そのうちに彼氏も出来て結婚の話も出ていたが、そこで破談になってしまう。こんな時でさえ茶道の事だけは休むことなく行ってしまう典子です。そして悩んでいる典子を見守っていた父が亡くなってしまう。そこでも典子は茶道の場所に訪れ、静かな場所で自分の内面と対峙してこの苦しい状況なかで、静観しようとしていた。この静かな茶道の場所が自分の本当の居場所だと気が付く。典子の穏やかなでも芯の強い、苦しい身の上に負けることなく信じた道を突き進む。長年している茶道だが自分より短い時間でセンスのいいひとは会得していく。そんな人に焦りを感じる典子で、武田先生にも言われてしまう。でも典子茶道の本質と静のすばらしさを感じた時により昔の典子よりも成長した、気付きを感じる。精神の大冒険が面白く描かれています。一期一会を学べます。
なぜこの作品はこんなに面白かったかというとやはり茶道をしていたことも関係あるとおもいますが、はじめに茶道の基礎は何となくしっていて作法の中に所作というか決められたものや事柄が沢山あり、それを一つ一つ覚えることでお茶を飲むまでにとても時間がかかり、お茶室での歩き方など、歩くだけなのにこんなに緊張するのかと思うくらいに体が緊張しました。決められた作法の所作の中に静かな中に熱いものを感じます。頭もしっかりしていないと覚えなくてはいけないルーティーンがあり、これをしないで忘れていると次に進めません。そんな大変な茶道を覚えて体に沁みつかせるなでには大変な時間がかかります。だから茶道の本質を知るには何年も鍛錬が必要だと思うので辞めないということがこれほど大切なことかと感じます。

読書感想文6

蜘蛛の糸杜子春

この本と出会ったきっかけは芥川龍之介は小説などの対象である芥川賞の元になった有名な作家だったことと、校長先生が以前全校集会で杜子春の話をしたことです。そういった身近な印象があったのでこの本を読んで感想文を書きました。
 この本は蜘蛛の糸杜子春、アグニの神という三本立てになっています。蜘蛛の糸は地獄に落ちたカンダタと言う泥棒の男が林で見つけた雲を殺しかけていたのに命を助けるという良いことを行ったことからおしゃか様が蜘蛛の糸で地獄から救い出そうとしたところ、他の悪人も糸に続いてきたため、下に向かって降りろと言ったとたんに糸が切れてまた地獄に落ちたという話です。杜子春は校長先生がお話ししていたので、知っていました。唐という昔の中国に住んでいた杜子春と言う若者がいて財産を使い過ぎてお金がなくなったところからスタートします。途中で変わった老人に出会いました。そしてその老人からここをほりなさいと言ったところ、黄金が出て再びお金持ちになりました。でも、またお金を使ってしまい貧ぼうになってしまいました。また昔会った変わった老人に会って、大金持ちになりました。そしてまたまた遊んでお金を使いました。でもさすがに繰り返していたら杜子春も心に変化が起きました。周りに集まった人はお金が無くなると急に冷たくなったということを知ったのです。そして変わった老人は仙人だということを見抜き、弟子になります。そして厳しい試練を受けるのですが、見事耐え抜きました。でも、母親が急に現れ、その母親がひどい目にあわされているのを見た瞬間さけび試練は失敗します。しかし、仙人は家と畑を与えてくれ、地道に暮らすという話です。最後のアグニの神は怪しいインド人の占い師のおばあさんから日本人の遠藤が行方不明になった香港の日本領事の娘を救い出すという話です。初めて聞くタイトルでした。おばあさんがなぜ領事の娘をさらったのかと言うとアグニの神を乗り移らせてお告げを聞くのに使っていたようです。ともかく救出し、あやしい占い師のおばあさんは自ら命を絶つという終わり方です。
 これらの話を読んで面白かったこと、心に残ったこと、そして自分に当てはめてみてどうだったかということについての感想をそれぞれ言っていきます。
蜘蛛の糸は自分だけ助かろうとしたとき、お釈迦様の考えか糸が弱かったためか分かりませんが切れてしまいました。助かるハッピーエンドだと思っていたので意外な最後にびっくりしました。自分も部活できつい時とか、助かろうと思ってごまかしたくなることもある尾でカンダタに似ているなあと思いました。
杜子春は金持ちになったり貧乏になったりを繰り返しているのが面白かったです。心に残ったことはお金が無くなると周りの人は手のひらを反すということです。有名人やスポーツ選手も人気やお金があるうちはファンなどが集まってきますが、人気がなくなったり引退をするとさびしくなる人が多いと聞いたことがあります。杜子春はそういったことに気付き普通の生活を望んだのだと思いました。
アグニの神は遠藤の救出劇が面白かったです。行方不明になった領事の娘を救い出すというヒーローっぽい話は印象的で難しい話ばかり書くイメージの芥川龍之介の印象が変わりました。スカッとする活やくができたらなあと思いました。