読書感想文5

ティファニーで朝食を

この本と私が出会ったきっかけは本屋さんでこのティファニーでという言葉を見てからです。それは高校生の憧れという感じで、大人になり切れていない自分がこの本を読むことで大人になることができるのかななんて思いながら選んで手に自然ととっていました。そこから嬉しく思い自宅にいそいそ持って帰り、学校帰りに買ったので楽しみに夜に読もうと思い、夕ご飯を済ませて、お風呂も済ませて楽しみにこの新しいブックカバーのついたものを部屋のベットの横に置いて読まれる時を待っているように本が綺麗に輝いていました。自分のこれからの人生に変わることが起こるのかと思えるくらいにわくわくしてお風呂もいつもと同じ場所なのに新鮮に感じて幸せな感じに包まれていて、身体の汚れを落として綺麗になってからこの素敵な本の世界に入っていくのかなと想像を巡らせていました。
このティファニーで朝食をの簡潔な紹介ですが、これは自分の中では恋愛の物語です。夢見る男女の人生を共にしていく相手を選んでいるとも言えますが、ホリー・ゴライトリーは天真爛漫で田舎からこのニューヨークに来てもう一年くらいにもなるが今だ定職にもついていなくて、その時に飲み屋で知り合った男性などに援助してもらっている生活で、でも男性たちはホリーの不思議な魅力に惹きつけられる。何人もホリーに付きまとい、ドレスを破かれるということもあったり、生活は貯金も中々出来ていい状態で、朝帰りでティファニーの宝石店の前で悲しい気分を楽しくして家に帰るのがホリーの生活です。ホリーの家の上の写真家の男性にいつもアパートの鍵をなくすので帰るたびに起こされて鍵をなくすことをなじられる。だけどホリーはそんなことは気にせず生きている。写真家に怒らないで今度モデルになるからと言いくるめたりする。新しく越してきた若い小説家志望の青年ポール・バージャックもまた援助してもらっているお金持ちの女性がいた。そこで二人は仲良くなり、貧乏な身の上に二人で慰めあうように夢を語りながら生きていくのだが。そこでホリーを本気で愛しだしてしまうポールは奔放なホリーを自分のものだと愛を真剣に語るが、ホリーはブラジルのお金持ちと結婚するという。そこでポールは身を引くが、ホリーが警察の取り調べにあう。それはアフィア組織のサリー・トマトとの面会が原因だった。それを知ったブラジルのお金持ちは結婚を破談にした。ポールはホリーにかごの中の鳥は嫌だとポールの愛を受け入れられずにいるが雨の中自分の飼っている名無しの猫を捨てるホリーに猫を拾いにいくポール。その姿にホリーは自分を本当に愛してくれる人はポールだと気が付くのだった。
この作品の面白さはホリーの純真な奔放な人柄です。そして大人になっていても大人になり切れない自分は自由だと信じているところです。自分の境遇に負けず頑張って自分なりの生き方を貫いているところは凄いです。でも人からみんなに賞賛されるような生き方ではないですが、でもホリーなりにこの自分の人生を輝かせるようにブラジルにお金持ちと住んで、自分が貧乏だったころに戻りたくないとおもいながら、でもポールの小説家になる夢を応援するところもある。自分の弟の存在がホリーを支えていたので弟の死がホリーの人生の目的を見失うことになる。フレッドの存在が自分の支えであり、フレッドに似ているポールの優しい人柄に惹かれていた。でも自分と同じその日暮らしでは中々です。でも本当に自分を愛してくれる相手に出会えたところが宝石のようなものだと思います。
このティファニーという宝石店の存在というのを知らなくて、この宝石のお店の気の利いた店主の心意気もこの物語の面白さでした。このお店のイメージとホリーとポールの本当の愛で、自分の中でポールのような人と結婚したいと思いました。

読書感想文4

レインツリーの国

 私がこの本を読んだきっかけは、有川浩さんの書くお話が好きだからです。有川浩さんは植物図鑑、図書館戦争シリーズや阪急電車などの著者で、ラブストーリーをよく書き定評もあり、若い人達を中心に人気の作家さんです。本屋さんで有川浩さんの本の棚を見て、この本は薄くてすっきり読めそうだと思って選びました。
この本のあらすじを紹介します。二人の出会いのきっかけは一冊の本でした。学生時代に読んだ、忘れられない小説の感想を検索した信行は、『レインツリーの国』というブログにたどり着きます。管理人は『ひとみ』。気持ちが高まり思わず送ってしまった、メールに返信があり、二人は交流を始めます。心の通ったやり取りを繰り返すうちに、信行はどうしてもひとみに会いたいと思うようになっていきます。ですが、ひとみにはどうしても信行に会えない理由があるのです。その理由とはいったい何なのでしょうか。ひとみと信行の気持ちは通じ合うことができるのでしょうか。
まず、私がおもしろいと思ったところは目次です。各章のタイトルがセリフで書かれているのです。1章なら、「直接会うのが駄目やったら、せめて電話だけでもどうかな。」といったかんじで1~4章まで書かれています。5章はまとめの章だったので、『歓喜の国』でした。
次におもしろいと思ったところは、信行とひとみのメールのやりとりです。信行は忘れられないライトノベル『フェアリーゲーム』の結末について、自分以外の感想が知りたくてネットで検索をします。そしてひとみが管理人のサイトであるレインツリーの国にたどり着きました。そこでひとみが語った感想に反応したい気持ちが抑えられず、ひとみにメールを送ることにします。長文になってしまったし、とりあえず書いて送ってみただけで、その後やり取りが続くことは全くの想定外でした。信行からのメールにひとみも長文で返し、それからはいつも届いたらすぐに長文で返していました。そこから、お互いの気持ちが盛り上がっている、お互いに徐々に惹かれあっていることがわかりました。
ひとみを繰り返し説得し、ようやく信行とひとみは会うことになりますが、あることがきっかけでひとみがずっと隠してきた秘密がばれてしまいます。気持ちもすれ違ってしまい、喧嘩をしたままその日は別れることになってしまいました。しかし、信行は自分の言い方がきつかったことを気にして、ひとみに謝るメールを送ります。このメールは信行の本音がよく表れていると思いました。謝りたいと言いつつ、ひとみの気に障るようなことをたまに書いていて遠慮のないところが、関西人の信行らしいメールになっています。ひとみも売り言葉に買い言葉で反論してしまい、やはり長文のメールでまた喧嘩になってしまいます。二人の不器用さが読者にとって一番もどかしい場面だと思います。その後、ひとみの抱える聴覚障害について必死に勉強したり、ひとみのトラウマを少しでも和らげるために親戚の叔母さんに頼んで髪を切ってもらったり。フェミニンな服装に華奢なヒールのパンプスではなく、何かあったらすぐに逃げられるように動きやすい服装にかかとの低い靴を勧めたり、信行からひとみに歩み寄っていく姿に感動しました。ひとみもその信行の行動をみて、自分も変わろうと決意できたのだと思います。

 

読書感想文3

精霊の守り人

友人から勧められ、以前から読んでみたいと思っていたのですが、いつの間にか忘れていたある日、書店で目にした時に、この本は読むべきだと確信しました。
 女用心棒である主人公バルサが、川に落ちてしまった第二皇子を助けた事から、彼女の運命が、大きく変わることになります。第二皇子チャムグを助けたお礼に、妃より宮殿でもてなしを受けたバルサ。そこで、バルサは妃より「チャグムの実の父である帝が、精霊の卵を宿した息子を疎み、暗殺を試みている」という衝撃の事実を聞かされ、チャムグの用心棒を頼まれます。刺客は帝の使い手…それは用心棒として実績があり、短槍使いとして、その道では知らぬ者が居ない程の実力を誇るバルサにとっても、命懸けの仕事となる事を意味していたのです。「ここで死ぬか、用心棒としてチャムグを守りきることに賭けるか」の決断を迫られ、依頼を受ける事にしたバルサ。ここから、帝の使い手である刺客からチャグムを守り続けるバルサと、第二皇子であり、運命に翻弄されるチャムグの逃亡劇が始まります。
 少しでも気を抜けば殺される、帝の使い手との戦いをする一方で、チャグムの体に宿った精霊の卵によって、振り回される二人。また、卵を狙った異世界の魔物からも命を奪われそうになるチャグム。建国神話の秘密も徐々に明らかになり…。神話の秘密を知り、事情が理解されたお陰で、かつての刺客達は、異世界からの魔物と共に闘う仲間となっていました。
そして、卵は魔物から守りきり、無事に孵ることになるのです。物語は終わったかに思ったその時、第一皇子が病に倒れ、皇太子となる事を告げられるチャグム。
 チャムグはバルサ達の為に、自らの運命を受け入れ、皇太子として、宮殿に戻ったのです。チャグムを宮殿付近まで送り届け、これからの事を考えるバルサ。そしてまた、ここから女用心棒バルサの新たな冒険が始まるのです…。
 帝の使い手から命懸けで逃げる中、精霊の卵の影響で運命を翻弄されるチャムグ。それは神話の秘密にも繋がっていて、読めば読むほど物語に引き込まれていきました。そして、バルサの肉体的にも精神的にも強く、潔い性格。わずか十一歳でありながら、実の父親に命を狙われている中、複雑な気持ちを抱えながらも逞しくバルサと共に逃げ続けるチャムグ。
見事な呪術と豊富な知識量で、当代最高と噂される、伝説の呪術師であるトロガイ師。その弟子であり、バルサの友人でもあるタンダは、二人を手助けしながら、トロガイと共に建国神話の秘密を調べる冒険に出ることになります。帝に仕える、モンをはじめとする、バルサに劣らぬ実力を持つ追手達。帝に仕え、実は、国の行く末をも左右する聖導師達。
 …それぞれにそれぞれの立場や人生があり、キャラクターとしての魅力を感じましたし、魅力的なキャラクター達が、物語を一層奥深く、楽しいものにしてくれました。

 

読書感想文2

金閣寺

金閣寺と言うタイトルにひかれた。その理由は簡単で、中学三年の頃修学旅行で京都に行った時、金閣寺を訪れたからだ。三島由紀夫と言う作者も気になっていた。前にテレビで自衛隊の基地へ行き、決起をうながし、そして失敗して最後は切腹をするという衝撃的な亡くなり方をした作家だったからだ。この二つの要素が僕をこの「金閣寺」という本にたどり着かせたきっかけだったと思う。何となく印象深かった金閣寺と強烈な印象を与えた作家の三島由紀夫、この二つが合わさった時どんな作品になるのかと言うワクワク感もあった。そして、このように普通の感覚から少し外れた生き方をした三島由紀夫と言う人物に対して怖いもの見たさと言う感情もあったと思う。とにかくこの本は、他の本にはない興味と、そして怖さを僕に与え、そして読ませようとしてきたのは確かだったのだ。実際に読むと、とにかく今まで読んできた教科書の文章や小説とは一線を画すような衝撃を与える内容だった。
 まずこの金閣寺の内容について大まかに話すと、寺の息子である主人公溝口が美の頂点と言われていた金閣寺に深い興味を持ち、様々な縁があって修行僧として金閣寺に入ることになった。しかし、生まれ持った吃音のため修行先でいじめられ屈折した修行生活を送り、仏教系の大学に進学。女性に縁のない生活を送っていたが、実際に女性に会う機会も金閣寺が目の前に出てきて失敗したり、師匠が愛人とあっている場面を見てしまい関係が険悪にあると、大学にも行くことが難しくなり、堕落していく。どうしようもなくなり、死のうと思ったが、その前にすべての元凶を金閣と見定め、金閣に火をつけるという犯行を行い、死のうと決意した。そして、金閣に火を放ったのだ。しかし、自分も死のうと思ったが結局死ぬことができず、なぜか心が晴れ渡ったような気分になって生きようと決意したという内容だ。この話は柏木と鶴川という友人が出てきて、その二人によって主人公の溝口は性格が変わっていくという点も重要である。
 面白いと感じたことは、厳しい戒律の禅宗の僧である師匠が愛人をはべらせているというこの衝撃であった。作者の三島は僕の持っている固定観念を壊すというか、もてあそぶような描写をしてきたのだ。師匠と呼ばれるような僧という人格的にできた人間でさえ、あまり良いとは言えない愛人関係を持った人間を持たせたり、金閣寺の周りで進駐軍の軍人が娼婦をジープに乗せるなど、厳格な禅宗の僧と愛人、荘厳で静ひつな金閣寺に娼婦と軍人とジープという不釣り合いとも言える組み合わせを自在に文中に出して行き、散々からかっているようにも思えた。はっきりと明確に書くことは難しいが、○○すべき、○○であるべきと言うことは本当にそうなのかと語りかけてきているように感じた。心に残ったことは、吃音と言うコンプレックスを抱えて生きる主人公が、最後は救われるということだ。社会的に見れば大学を辞めて、友人柏木から借金をし、しかも金閣寺に放火するという行為を行い、救われるどころが転落していくのだが、最後は心が澄み渡り、溝口本人は今まで生きてきた苦しみから解放されたような印象を受けたことだ。自分は今、進路を決めなければいけないというき路に立たされているが、周りの意見だけでなく、自分はどうしたいのかということをきちんと考えていく必要があるのではないかと言うことを感じた。もちろん溝口のように金閣寺に火をつけるような犯罪をしてはいけないが、周りに流され続けながらも最後は自分のしたいことをした溝口の根本的な所は見習う所もあるのではと思う。

読書感想文

芥川龍之介の小説は文章の短い作品が多いので読んでみようと思いました。その中で『鼻』という作品に興味を持ちました。
この小説は、主人公・内供の『長すぎる鼻』が短くなって元に戻る話です。初めに『長すぎる鼻』で人目を気にしていました。『長すぎる鼻』が短くなったら人目を気にしないのにと思っていろいろ試してついに弟子の秘法により『鼻』が短くなりました。ところが短くなったのに前にも増して失笑されるようになりました。それで今度は鼻が元の長さに戻ったらいいのにと思い元に戻ったというユーモアのある面白いお話です。
実は主人公は『長すぎる鼻』が嫌いだったのではなく、『人に笑われる自分』が嫌いだったのです。外見や障害などシュールな自分を気にするのか世の中の自分の風評を気にするのか難しいところです。日本では世間体を気にするので、地域にもよりますが風評を気にする方は多いです。自分がもし『長すぎる鼻』のようなシュールな外見を持っていたら失笑されたら短くしたいです。しかし、世間は整形手術だと笑うでしょう。整形手術と騒がれて失笑を買う自分はもっと恥ずかしいです。
主人公・内供はお坊さんですがきわめて人間臭いと思います。世の中で整形手術が盛んになるのも頷けます。本当に整形手術が駄目なのか考えてみると日本では整形手術で人を欺くことは良くないとされていますが、隣国・大韓民国では容姿・学歴・語学力という3つのスペックがないと就職できない現実から整形手術が盛んになっています。
話が脱線してしまいますが、整形手術は費用も掛かり、身体にメスを入れるなどによるリスクもあります。このことから整形しなくても失笑を買わない世の中があればいいのにと思います。主人公は鼻が元に戻って良かったか悪かったか本人の心理描写が無く、本人の気持ちはわかりませんが、シュールな外見は嫌だけど整形だと人に笑われる自分がもっと嫌というのは自分には痛いほどよくわかります。内面の問題として、他人に対して『ありのままの自分』でいいと言う結論を下すほどの勇気はまだ自分にはありません。
『ニキビ』など治りやすい外見であれば治そうと努力して治します。でもそれが治しようがない障害であれば自分を認めるしかないです。良いところも悪いところも自分を認めることで私はやっていこうと思います。しかし周囲が失笑するとき私は失笑する側には周りたくないです。みんなが思い切り笑い合える世界でありたいです。